プランゲ文庫所蔵山口県関係出版物について

栗田尚弥 
渡邊言美 
中司文男 
      一 プランゲ文庫とは
      二 検閲組織
      三 プランゲ文庫研究史
         @日本への紹介
         A現在の研究動向
         B地  域
      四 山口県関係雑誌・新聞の収集
 
 
ゴードン・W・プランゲ文庫山口県関係雑誌一覧(作成中)  
 
 
 
   一 プランゲ文庫とは
 
 アメリカ合衆国の首都ワシントンDCの北隣、メリーランド州カレッジパーク市にアメリカンフットボールで有名なメリーランド州立大学がある。同大学の広大な敷地のほぼ中央に位置するマッケルディン図書館の地階に、五〇年前日本で作成された書籍・パンフレット約八万二〇〇〇冊、新聞・通信約一万七〇〇〇タイトル、雑誌(機関誌等を含む)約一万三〇〇〇タイトル、地図約六四〇枚、ポスター約九〇枚に及ぶ印刷・出版物が保存されている。プランゲ文庫(The Gordon W. Prange Collection)である。
 プランゲ文庫に収められている印刷・出版物の作成年代は、一九四五(昭和二〇)年から一九四九年にかけてである。この間日本は、アメリカ合衆国を中心とする連合国の占領下に置かれていた。日本の占領統治を直接担当した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)と彼の総司令部(GHQ/SCAP、もしくはGHQ)は、日本の「戦後改革」を実施すべく、一九四五年の秋以降マッカーサー指令と通称される一連の指令・命令等を発した(略称マ指令)。四五年の九月に発せられた「言論および新聞の自由に関する覚書」(十日)、「プレスコード(日本新聞紙法)」(十九日)もそのひとつで言論の「民主化」を目指し、日本の全メディア(新聞・雑誌・書籍・映画・放送・郵便・電信等)に対する検閲の実施をうたっていた。。プランゲ文庫に収められた出版物は、この検閲のためにGHQの検閲当局(民間検閲支隊、CCD)に提出された新聞・雑誌・書籍の類である。
 一九四九年十月、CCDによる検閲が終了しGHQによる検閲は一段落したが、検閲用に提出された膨大な量の出版物の処理が問題となった。結局、GHQ参謀第二部(G―2)戦史課長であったメリーランド州立大学教授ゴードン・W・プランゲ(Gordon W.Prange)博士(専門はヨーロッパ史)が帰任に際し持ち帰り、同大学の倉庫に収められた。日本ではプランゲ博士の名は、日米開戦を題材にしたドキュメンタリー『トラ トラ トラ―太平洋戦争はこうして始まった―』の作者としてつとに有名であるが、博士が持ち帰った膨大な資料群はほとんど手つかずの状態で置かれていた。そのため、プランゲ博士帰任後もこの膨大な資料群は大学の倉庫に保管されたままであったが、一九七七年整理が開始され今日に至っている。その間、七八年には大学当局の認知するところとなり、プランゲ博士の名を冠した「ゴードン・W・プランゲ文庫」として図書館に正式に保管されることとなった。
 一九九二(平成四)年六月にはメリーランド大学と日本の国立国会図書館との共同作業による雑誌のマイクロ撮影化が開始され、現在同図書館の憲政資料室に於いてマイクロフィッシュによる閲覧が可能な状態となっている。また、九八年十月にはメリーランド大学によって撮影された新聞の一部が憲政資料室で公開された。そして、九八年十二月には早稲田大学の努力によりプランゲ文庫所蔵資料の一部が里帰りし、同大学會津八一記念博物館に於いて一般に公開展示され(五日〜十一日)、十二月六日には同大学、メリーランド大学、潟jチマイ等の主催による記念シンポジウム「占領下 言論と文化の諸相」(於早大井深大記念ホール)が開かれた。
(栗田) 
 
 
   二 検閲組織
 
 次にGHQによる検閲組織について簡単に見ておこう(以下本章に於いては、主として『茅ヶ崎市史現代3』茅ヶ崎市・一九九七年、第七章「検閲下の出版物」に付された平山孝通氏の「解説」を参照した)。  一で述べた如く、GHQは一九四五年に発せられたマ指令「言論および新聞の自由に関する覚書」、「プレスコード(日本新聞紙法)」にもとづき四五年秋から全マスメディアに対する検閲を開始したが、翌四六年になると検閲は一層強化された。一九四六年一月二十五日付『新聞・映画・放送部月例活動報告』は、言論の「自由」や「民主化」を確かに強調している。しかし、同『報告』に添付された「検閲指針」は、戦争擁護の宣伝、軍国主義の擁護、戦争犯罪人の正当化および擁護といった反民主的言論のみならず、GHQ批判、極東軍事裁判批判、GHQ憲法草案への批判、極左的言辞などGHQ・占領当局(実質的にはアメリカ占領軍)の政策に対する批判をも「制限事項」として規定した(全三〇項目)。要するに、GHQ当局の言う言論の「自由」「民主化」とは、マッカーサーらGHQ当局者の信奉する「アメリカン・デモクラシー」の範囲内での「自由」と「民主化」であったと言えよう。「制限事項」を盾にとっての、GHQ・占領軍当局の<言論封殺>に関しては、江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本―』(文春文庫・一九九四年)及び山本武利『占領期メディア分析』(法政大学出版局・一九九六年)に詳しい。
 検閲を実際に担当したのは、民間検閲支隊(CCD)であった。当初、CCDはGHQ幕僚部民間諜報局(CIS)に所属したが、一九四六年CISの廃止にともないGHQ参謀第二部(G―2)民間諜報課(四八年局に昇格、やはり略称はCIS)に属することとなった。G―2は、GHQの諜報・情報収集・謀略を担当した部局で、その長はGHQきっての反共主義者ウィロビー(Charles A.Willoughby)少将であった。また、CCD同様、民間諜報課に属した対敵諜報部隊(CIC)第四四一支隊は、日本国内の左翼勢力に関する情報収集を主任務とする情報工作部隊であり、山口県にも支部(第四地区CIC)を置いていた。
 CCDによる検閲は、中央すなわち東京ですべてが行われたわけではない。日本国内の検閲区域は東京・大阪・福岡の三つの地区に分けられ、CCDも三つのDistrictに分かれて活動した。山口県を担当したのは、福岡市に司令部を置いたDistrict3(第三地区CCD)である(朝鮮半島の米軍占領地域[南朝鮮]には一九四七年七月まで第四地区CCDが置かれ、やはり東京の民間検閲課に属していた。また、一九四八年十月以降は北海道が検閲区域として独立し、札幌に第四地区CCDが置かれた)。
 検閲方法としては当初は事前検閲制度がとられた。これは、出版人が原稿をゲラの段階であるいは出版前にCCDに提出し、CCDの指示(削除、書き換え等)に基づき書き換え等の措置を行うものである。この事前検閲制度は、書籍・雑誌は一九四七年(十月・十二月)まで、新聞は四八年七月まで続けられたが、以後は事後検閲制度となった。事後検閲制度は、出版後の検閲調査によって「検閲指針」に抵触する部分があれば出版人に回収を命じるというものであったが、出版人にとってはまさに自分自身による事前検閲であり、CCDによる事前検閲よりも慎重にならざるを得なかった。(なお、中央公論社、改造社等出版社一五社と『中央公論』『改造』『世界』等雑誌二八誌についてはCCDによる事前検閲が継続された。)
 一九四九年七月、地方<軍政>機構の改変が実施され、地方の<軍政>を統括していた第八軍と第一・第九軍団の軍政局は民事局へと、各地方ごとの地方軍政部と都府県軍政部は民事部へと名称変更を行った(同年末には都府県民事部も廃止)。また、この<軍政>機構の改変により日本の行政当局の施政権もかなり拡大された。「軍政局、軍政部という名称が非常に多くの場合、日本以外の占領地に行われている直接の軍政を意味するかのように誤解されるのでこれを避けるため」(政務局特別資料「連合国による占領および管理[草稿]」江藤淳編『占領史録』第4巻・講談社・一九八二年・三五頁)というのが表向きの理由であったが、GHQ当局の望む日本の「戦後改革」と「民主化」が一段落したことが最大の理由であろう。そして、この<軍政>機構の改変と日本の行政当局の施政権拡大と軌を一にするようにCCDによる検閲も一九四九年十月三十一日をもって終わりを告げ(ただし十一月十日まで猶予期間)、CCD自体も四九年末には解散された。もっとも、CCD解散後も、その業務はG―2のCISやGHQ民間情報教育局(CIE)によって事実上引き継がれたと言われており、GHQ当局による検閲が名実ともに終了するのはサンフランシスコ講和条約が発効する一九五二年のことであった。
 なお、CCDには最高時八千百余人の日本人が雇用されており、そのうちのかなりの部分が実際の検閲業務に従事したとされている。
(栗田) 
 
 
   三 プランゲ文庫研究史
 
 ここで、プランゲ文庫に関する主要な研究(プランゲ文庫そのものに関わる研究、プランゲ文庫を史料として用いた研究)を簡単に整理しておこう。なお、本稿の性質上また紙幅の関係上、占領下における検閲政策全般に関する諸論考は、割愛することとした。
 
@日本への紹介
 一九七二年の「占領史研究会」発足に代表されるように、一九七〇年代は占領期に関する研究が飛躍的に進み始め、連合国の占領政策、中でも検閲政策への関心も高まってきた時期であった。
 プランゲ文庫の存在が初めて日本国内で紹介されたのは、一九七一年六月に慶鷹大学教育情報センターの機関誌『KULIC』に掲載された森園繁の報告書であったという(福島鑄郎「占領下の出版検閲資料―メリーランド州立大学図書館所蔵目録刊行計画―」『出版ニュース』十一月上旬号・一九七七年十一月)。以後プランゲ文庫は、竹前栄治・袖井林次郎・古川純・山本武利・有山輝雄らによる占領期検閲に関する研究の進展と歩を同じくして、同文庫関係者や占領史研究者らの手によって広く知られるようになっていった。
 プランゲ文庫所蔵史料を素材とした研究は、松浦総三を噛矢とする。松浦は、雑誌『改造』への検閲を中心に、占領軍検閲の実態を明らかにした(『占領下の言論弾圧』現代ジャーナリズム出版会・一九七四年)。続いて福島鑄郎は、プランゲ文庫の紹介や目録化に力をそそぎ、占領軍の検閲政策や機構を詳細に示した(福島鑄郎「占領下における検閲政策とその実態」中村隆英編『占領期日本の経済と政治』東京大学出版会・一九七九年)。春原昭彦は、占領期の新聞資料の重要性を唱え(春原昭彦「戦後ジャーナリズム史研究に貴重なプランゲ文庫」『新聞研究』no.365・一九八一年十二月)、占領検閲の新聞界に与えた影響について論じた(春原昭彦「占領検閲の意図と実態」(上・中・下)『新聞研究』no.396〜no.398・一九八四年六〜八月)。
 プランゲ文庫を含む一次資料を博捜し、占領史における検閲の「苛酷さ」と日本の言論への影響を論じたのは江藤淳であった(江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本―』文藝春秋・一九八九年、後に文庫版として一九九四年に再刊)。
 米国の同文庫関係者の功績も見逃せない。F・J・シュルマンは日本国内に同文庫の重要性を広く紹介した(フランク・ジョセフ・シュルマン「メリーランド大学マッケルデン図書館東亜図書部所蔵 連合国日本占領期の刊行物と未刊行資料」『国立国会図書館月報』No.204・一九七八年三月)。プランゲ文庫保存とマイクロ化に多大な貢献をなした村上寿世は、日本国内への紹介にも力を入れた(村上寿世「プランゲ文庫について―第一報―」『出版クラブだより』No.338・一九九三年三月、同「プランゲ文庫の現状報告」『メディア史研究』2号・一九九五年二月)。
 両国の諸関係者の努力により成ったのが奥泉栄三郎編『占領軍検閲雑誌目録・解題』(雄松堂書店・一九八二年)である。本書は検閲雑誌三四八一タイトルを対象としており、「プランゲ文庫と本書の利用法」「占領軍検閲雑誌基本目録」「誌名別冊数・コマ数早見表」「補遺1 占領下の極右・極左事前検閲雑誌」「補遺2 占領下事前・事後検閲雑誌都道府県別統計」「補遺3 発行年度別統計」からなる。プランゲ文庫に関する研究のための基本的文献として、裨益するところ大である。奥泉は続けて、『占領下検閲雑誌総目録』の刊行への準備を継続中である(奥泉栄三郎「『占領下検閲雑誌総目録』の刊行へ―米国・メリーランド大学蔵戦後誌の全容―」『出版ニュース』一月上・中旬合併号・一九八九年一月、該当書は未刊)。
 総括すれば、プランゲ文庫は、占領史研究、特に占領下の言論統制・弾圧の一端を示す資料として評価されてきたといえよう。
 
 
A現在の研究動向
 現在では、プランゲ文庫所蔵の出版物を用いた研究がますます進みつつある。メリーランド大学では、一九八五年にプランゲ文庫史料を用いた研究物リスト(University of Maryland Libraries-College Park: Selected List of Publications Based on Research at The Gordon W.Prange Collection 6p, 1985.4)が刊行されたという(奥泉栄三郎「プランゲ文庫―負から正の文化遺産へ―」『図書館雑誌』vol.183,no.8・一九八九年八月)。
 現在の主要な研究について、以下に資料群の中心をなす雑誌および新聞に関する研究を中心として紹介する。
 プランゲ文庫所蔵の雑誌を用いた個別事例研究として、前掲の松浦総三著の他に、以下のような論文がある。荒木義修は「占領期の日本共産党に関する資料」(『松阪政経研究』3巻1号・一九八九年三月)で雑誌『前衛』の検閲実態に迫った。また古川純は『改造』の、高野和基は『民主評論』の分析をそれぞれ行っている(古川純「雑誌『改造』にみる占領下検閲の実態(1)」『東京経大学会誌』116・117合併号・一九八○年九月、高野和基「占領軍の雑誌検閲と『民主評論』」『大原社会問題研究所雑誌』406号・一九九二年九月)。教育関係雑誌についての研究も進んでいる。奥泉栄三郎はプランゲ文庫の教育関係雑誌四二三件について、これまで明星大学占領教育史研究センター『占領教育史研究』(現明星大学戦後教育史研究センター『戦後教育史研究』)に九回にわたって各雑誌の解題をなしている(奥泉栄三郎「占領下教育関係雑誌目次総覧・解題―米国・メリーランド大学マッケルディン図書館所蔵・1945〜1949―」(その1〜その9)『占領教育史研究』第1号・一九八四年七月〜『戦後教育史研究』第12号・一九九八年二月、以後続刊)。なおこの四二三件の雑誌の総目録は奥泉栄三郎「占領下教育関係雑誌目録―米国・メリーランド大学マッケルディン図書館所蔵・1945〜1949―」(『戦後教育史研究』第10号・一九九五年三月)に発表済みである。
 浅岡靖央は、プランゲ文庫所蔵の子ども対象の児童雑誌二八誌、および大人対象の児童雑誌三誌の検閲内容に迫っている(浅岡靖央「雑誌にみる子どもの読物と占領軍検閲」(その1・その2)『戦後教育史研究』第7号・一九九〇年十一月、同第8号・一九九二年二月)。
 次に新聞を題材とした研究として、佐々木泰の論文などがある。佐々木は、新聞・通信社への検閲機構を整理し(佐々木泰「占領軍検閲―新聞・通信社を中心に―」『戦後教育史研究』第6号・一九八九年四月)、プランゲ文庫収録の一九四七年に検閲された新聞七七五記事の分析を行った(佐々木泰「ゴードン・W・プランゲ・コレクションの新聞検閲資料の整理から」『戦後教育史研究』第7号・一九九〇年十一月)。他のプランゲ文庫を用いた研究として、M・プラウ、堀場清子による原爆関連の検閲に関する著作がある(モニカ・プラウ著、立花誠逸訳『検閲 1945−1949 禁じられた原爆報道』時事通信社・一九八八年、堀場清子『禁じられた原爆体験』岩波書店・一九九五年、同『原爆 表現と検閲、日本人はどう対応したか』朝日新聞社・一九九五年)。その他、増田弘『石橋湛山 占領政策への抵抗』(草思社・一九八八年)、平野共余子『天皇と接吻―アメリカ占領下の日本映画検閲―』(草思社・一九九八年)などがあげられる。
 
 
B地  域
 諸地域、主として自治体史レベルでも、プランゲ文庫の調査・研究が活発化している。最初に本格的に調査にのりだしたのは横浜市史であった。成田龍一・堀江武史らによる派遣チームによって、神奈川県下発行の新聞・雑誌について、それぞれの目録化が進められた(成田龍一「Prange Collection(University of Maryland)所蔵占領期神奈川県下発行の新聞目録稿」(正・続)『市史研究よこはま』第2号・一九八八年三月、同第3号・一九八九年三月、堀江武史「海外資料収集報告 メリーランド大学マッケルディン図書館所蔵プランゲ・コレクション―神奈川県下刊行・雑誌―」『市史研究よこはま』第5号・一九九一年三月)。
 この横浜市史の調査を手がかりとして、神奈川県茅ヶ崎市はプランゲ文庫を『茅ヶ崎市史』の本巻に掲載した。そこでは、プランゲ文庫所蔵の茅ヶ崎市域出版物(一一タイトル)の表紙と内容の一部が写真版で紹介され、それぞれの資料についての解説が付されている(「検閲下の出版物―プランゲ文庫所蔵『新頁』『ひばり』ほか―」『茅ヶ崎市史 現代3』・一九九七年)。ここでは、プランゲ文庫は「『戦後』文化の実像を示すもの」として評価されている。
 また広島県地域での雑誌検閲の実態を、検閲内容に注目して明らかにした研究として、尾津訓三「占領下における広島県内の文芸活動と検閲」(広島市公文書館『紀要』16号・一九九三年三月)がある。尾津はプランゲ文庫の広島県関係雑誌一二一タイトルの地域別解題を行い、検閲内容を「左翼宣伝」「右翼宣伝」「不安への扇動」「占領軍批判」「検閲への言及」「原爆」「その他」の七種に分類して整理した。尾津の関心もまた、プランゲ文庫を戦後の地域の文化的活動との関連において捉えることにある。
 以上のように、地域レベルにおいてもプランゲ文庫への関心が高まり、書誌的解題のみならず、検閲内容に踏み込んだ検討も進みつつある。注目すべきは、プランゲ文庫が、戦後の地域文化を物語る重要な資料として位置づけられつつあるということである。国会図書館による同文庫所蔵雑誌のマイクロフィッシュ化が完了し、憲政資料室で閲覧・複写が可能になった現在、プランゲ文庫を用いた戦後文化史の研究が今後ますます進展してゆくことが期待される。
(渡邊) 
 
 
   四 山口県関係雑誌・新聞の収集
 
 では、山口県関係資料の収集状況について、これまでの活動の概要を紹介する。
 山口県史編さん事業がはじまった当初から現代部会ではプランゲ文庫所蔵資料に注目してきた。一九九二年十一月、プランゲ文庫に山口県関係資料の所蔵状況を照会したところ、管理責任者故村上寿世氏から「昭和二十年十月から二十四年十月までの問に山口県下で発行された新聞、雑誌は主な地方紙から労働組合紙、個人出版の小雑誌まで色々あります」との回答が寄せられた。また、一九九五年九月、プランゲ文庫に村上氏を訪問した際には、「山口県は新聞が面白い」との御教示をいただいた。
 一九九六年六月から国立国会図書館憲政資料室でマイクロ化作業を終えた雑誌の公開がはじまった。以後、数次にわたって公開が続き、一九九七年十月までにマイクロ化された雑誌一万三七八一タイトルが公開された。現代部会ではこの公開日程にあわせ、一九九六年八月以降、順次、山口県関係雑誌の抽出・収集作業を行った。
 収集にあたっては、まず山口県関係雑誌の抽出からはじめた。閲覧用目録『日本占領期検閲雑誌 メリーランド大学図書館ゴードン・W・プランゲ文庫所蔵 五十音順目録』(国立国会図書館印刷・一九九六年)の「出版地」に山口県内の都市・町村が記載された雑誌を抽出し、同『目録』の付録「分類別索引」の「出版地」と照合した。また、[発行地不明]と記載された雑誌の抽出も行った。こうして抽出した雑誌は、県内で発行されたもの合計三三三タイトル、発行地不明のもの合計八九タイトルであった。つぎに、抽出した雑誌を一点ずつマイクロリーダーで閲覧し、大まかな内容の確認を行った。その結果、山口県関係雑誌として抽出したものはすべて県内で発行されたものであり、発行地不明の雑誌のうち県内で発行されたと判断されるものはないことを確認した。
 こうして、これまでに山口県関係雑誌三三三タイトル(別表参照)を確認した。その収録冊数は合計一二二六冊(分類Zaの雑誌は除く)で、それらを収録したマイクロフィッシュは合計六五四シート、撮影コマ数は合計二万二七六ニコマであった。これらの雑誌はマイクロフィッシュで収集することとし、公開日程にあわせ順次すべて収集した。つぎに、マイクロフィッシュに撮影された写真の焼き付けを行った。雑誌本文はほぼ見開き二ぺージ分が一コマに撮影されているが、できるだけ文字が判読しやすいように引き伸ばし、左右のページをそれぞれ用紙一枚に焼き付けた。焼付枚数は約三万四〇〇〇枚となった。現在、雑誌一冊ごとに内容を確認しながら「細目録」の作成を行っている。
 また、一九九八年十月、国立国会図書館憲政資料室でプランゲ文庫所蔵の新聞および通信の公開がはじまった。この新聞の第一次公開分約五〇〇〇タイトル(分類A〜J)についても雑誌と同様に抽出作業を行い、これまでに山口県内で発行されたものと関係記事が記載されたもの合計一六二タイトルを抽出して、マイクロフィルムで収集した。今後とも公開日程にあわせて抽出・収集を行うこととしている。
 なお、今後は戦後山口県における政治・経済・社会・文化・スポーツ等の状況がより多角的に捉えられるよう、このプランゲ文庫所蔵雑誌・新聞の調査と並行して、これまでも行ってきた国内に所在する雑誌や新聞の調査も継続して行う予定である。
(中司) 
 
 
 
 
著者一覧
  • 栗田/國學院大学講師・山口県史編さん専門委員
  • 渡邊/山口県史編さん室嘱託員
  • 中司/山口県史編さん室専門研究員
 
 
ゴードン・W・プランゲ文庫山口県関係雑誌一覧(作成中)  
 
 
 
 

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