プランゲ文庫のこと<下>
戦 争 の 反 省 映 す 児 童 誌
 
 
谷 暎子 


 プランゲ文庫で見た農村向けの雑誌「みのり」増刊号(一九四六年十一月・柏葉書院)には、「北海道における最近の出版活動はめざましく『新しき出版基地』としてクローズアップされてきた」とある。
 出版の中心である東京が空襲で壊滅的な打撃を受け、紙の生産地で、操業可能な印刷工場がある北海道が注目された。講談社、筑摩書房などの大手出版社が、札幌に支社などを設けて出版活動を展開し、小出版社も次々に誕生。四五年七月に十指に満たなかった出版社が、四八年には百三十社近くを数える勢いだったという。この間、出版された子ども新聞、雑誌、図書は約二百タイトル(約五十社)に及ぶ。しかし、資料は既に散逸していて出版を確かめることさえ難しい。北海道で多様な児童出版物が作られたのは、この時代だけなのだが。
 児童文芸誌「北の子供」の創刊は四六年四月三十日、科学新聞「子供の国」創刊の前日のこと。終刊は五〇年の一月。発行は財団法人・新日本文化協会で、最盛時の発行部数は一万五千。協会の前身が、戦時中に国策宣伝、戦意高揚などの紙芝居を普及していた北海道教育紙芝居協会だったことも、敗戦時の社会状況を映していて注目したい。
 「北の子供」は童話、童謡、絵物語などの文芸作品、北海道の自然や歴史、評論などを掲載。執筆者には道内の作家、画家を総動員し、中央で活躍する作家の作品も掲載。札幌に疎開していた百田宗治が児童詩の選評で、梁川剛一が表紙絵のほとんどを描いて活躍。ユニークなのは「北の子供」の拡張・宣伝のために結成された人形劇団「こまどり座」をもち、道内の小学校を巡演して子どもたちを楽しませていたことであろう。私が最初に研究したのが「北の子供」である。プランゲ文庫では、全国各地で出版されたおよそ百種の地方児童誌を見ることができた。それらの中でも「北の子供」は長命で、内容的にも充実していることがわかったのは新たな発見だった。

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 プランゲ文庫で初めて見た雑誌の一つが、函館少国民文化連盟の「文化学園」(四七年一月)で、検閲の実態を垣間見ることができる。「第十一青函丸の見学」と題する作文の、次の部分に傍線が引かれている。「…この船は進駐軍だけを乗せる船だと船のおじさんから聞いた…進駐軍の入る部屋の中に入って見た。やっぱり進駐軍の入る所だけあって椅子のさわるところは板でなくてふわふわしたクッションである」。検閲文書には、検閲官が上記の部分を英訳し「占領軍への言及」と書き上申。上級検閲官は「許可」と判断したため結果的にはそのまま出版された。
 「科学と発明」「私たちの科学」も、文庫で初めて見た科学雑誌。「科学と発明」は、子どもが科学を愛好し、合理的生活に親しむことを願い、四七年一月に帝国発明協会北海道支部が創刊。ほぼ同じ時期に京都支部が「科学の泉」、新潟支部が「科学少国民」を発行していて興味深い。
 「私たちの科学」は財団法人・北海道科学普及協会が、子どもの科学にたいする興味、関心を高めるために四八年六月に創刊。第二号に、札幌の中学生の幌内炭鉱見学記を掲載。楽しみに出かけたのに、「この炭鉱は未(いま)だ一度も女の人が坑内に入ったことがないので女の学生さんは遠慮してもらいたい」といわれ、「女生徒の驚きと悲しみといったら、その場から立ち上がれない程で涙がほほを伝わった。迷信だ。男女同権でない!」と女生徒が心の内をぶつけている。結局は女性が働く選炭場だけは見学できたようだが、新しい教育を受けている中学生と、しきたりを重んずる炭鉱側の考えなど、当時の状況がリアルに伝わってくる。

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 プランゲ文庫を初めて訪れた人は、書架に並ぶさまざまな分野の図書、マイクロ化済みの新聞や雑誌が収められている箱の数、机に広げられた整理中の新聞を見て、所蔵資料の多さに驚かれる。資料を知り尽くしておられた村上さんが「北海道はおもしろい」といわれたことを思い出す。私流に解釈すれば、さまざまなジャンルの雑誌や新聞、サークル誌などから、何にもとらわれない草の根のエネルギーを感じとられたのではないか、と思うのだが。
 「北の子供」創刊の言葉のなかに「…君は何か心の底からわき上がってくる力を感じるでしょう」と書かれている。私にはこの呼びかけが、「北の子供」をはじめとする児童出版物を創(つく)った大人たちの心情の吐露と思えてならない。聖戦の名のもとに犠牲を強いたこと。敗戦後の価値観の崩壊。虚脱感から立ち上がったとき、次代を担う子どもたちの問題を等閑視できないと気付いた大人たち。戦中は子どもから楽しみを奪い、戦後もなお困難な生活を強いている現実。そんな子どもたちを励ましたい、楽しませたい。同じ失敗を繰り返さないように、科学的な思考のできる子どもになってほしい、と考えたのではないか。当時の子ども新聞を読むと、国会のこと、経済政策や教育のことなど、社会の出来ごとを懸命に伝えようと大人の姿が見えてくる。

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 プランゲ文庫の資料整理は今も続いているが、雑誌のマイクロフィッシュ、新聞のマイクロフィルム(A−Lまで)は、日本の国立国会図書館でも閲覧できるようになった。文庫の資料を駆使した研究を進めることが、資料整理に貢献された村上さんに応(こた)える道なのだと思う。これからも私は、北海道の児童文化史を紡ぐ仕事を続けたい。資料が一つ見つかると、パズルを解くように事実が浮き彫りになったりする。みなさんのご協力を期待したい。


 

たに・えいこ=北星学園女子短大教授)